2月のフィルム

四季折々あなたと居たい

アイドルが表象する世界

私が惹かれるアイドルの共通点を1つ挙げるとしたら、それは「世界観の構築とその世界への没入に秀でている」という点だと思う。元々自分はアニメ、漫画、ゲーム、小説といった創作物が好きで、年齢と共にいくらか落ち着いたものの空想癖のある人間だ。実在するアイドルにもどこか幻のような、フィクションのような、そういった非現実性を求めている節がある。

今日、7 MEN 侍のサマパラ配信を見た。佐々木大光のソロパフォーマンスに心を奪われた。18歳になって数ヶ月、グループ内最年少の彼がステージにたった1人で立って、ダンスという自分の武器を持ち、強くて美しくてどこか脆さも感じる幻想的な不死鳥を演じきったその姿は私がアイドルに求めているものにあまりにもドンピシャだった。少年と青年の狭間にいる今の彼が、今の彼だからこそ作ることのできる魅力がこれ以上なく詰め込まれたステージだった。あの空間が彼の色に染まったあの時間を私はしばらく忘れることが出来ないと思う。

ある意味、猪狩蒼弥のfence以来の衝撃だったかもしれない。きっと猪狩くんも大光も私が上に挙げた条件には当てはまるけど、正確には多分この2人の性質はいくらか異なっている気がする。猪狩くんは世界を自分の側に引き寄せているように思えるのだ。作った世界はあくまで曲そのものを土台としているが、そこから彼はその世界を自分に引き寄せている。曲に合わせて構築した世界の下書きを自分の色に塗りつぶし、そこに自ら入り込んでゆく。

一方で大光は徹底的に自分が世界に染まるタイプに思えた。曲に合わせて完成させた世界に自らもそれと同じ色に染まり世界に溶け込む。溶け込んではいるが、その世界の中で自分にしか出来ない動きをとることで世界から彼が(良い意味で)浮かび上がってきて見える。

2人は、そしてそれ以外の私が好きなアイドル達も、それぞれ違ったアプローチ方法で世界を作り、それに没入する。その姿は本当に美しくて、羨ましい。

というか、彼らはどうやってああも美しい世界を作るのだろう。私は創るという行為が好きで、苦手だ。自分の思うような世界を作れたらどんなに素敵なことだろうと思っても、実際に作ったものを見てみると何かが足りない。作る途中で行き詰まり、最終的にはどこかで見たキメラのようになってしまい、その度に自分の発想のつまらなさに辟易してきた。そして多分その反動として私は作ることに特化したアイドルを"好き"になる。この"好き"の中には憧れ、尊敬、希望、それから嫉妬や羨みとかっていった色々なものも含まれていて、多分外側の好きの2文字からは見えないくらいに中身はぐちゃぐちゃしている。だからこそ私にとってこの感情はとても大切で、大きな活力になっているんだと思う。

これからもきっと彼らは私には想像もつかないような世界を表象してくれるんだろう。私にはそれを客席で見てることしか出来ないけれど、でも逆に客席からそれを見る機会を、権利を与えられていることは幸せなことだ。彼らの心ひとつでもう二度と彼らのパフォーマンスを見ることが叶わなくなってしまってもおかしくない、そんな世界だから。多分この先も私は彼らの作る世界を見る度に果ての無い高揚感と憧憬に包まれ、そしてその中に少しの嫉妬や悔しさを感じるんだと思う。